総合格闘技 プライド、マーク・ハント!

格闘技 選手マーク・ハント(Mark Hunt、1974年3月23日 - )は、ニュージーランド出身のプロフェッショナルファイターである。身長178cm。体重127kg。

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K-1オセアニア地区予選を2000年、2001年と2連覇し、2000年2月のK-1オセアニア地区予選でのデビューから、僅か2年足らずで、K-1 WORLD GP 2001を制し、欧州以外、また地区予選から勝ち上がった最初のGP優勝者となった。その驚異的なタフネスぶりと積極果敢なファイトスタイルから、「サモアの怪人」という異名を持つ。

なお、彼のタフネスぶりは敗者復活をかけたK-1福岡大会(2001年10月8日)で顕著に示されており、特にレイ・セフォーとの対戦で見せたノーガードからの殴り合いは観客の度肝を抜き、格闘技 選手ハントの存在がK-1の中で強く印象付けられる結果になった。

2000年にK-1オセアニア予選で初登場。その予選に優勝し、続いて、名古屋でのグランプリ予選に出場。準々決勝で格闘技 選手ジェロム・レ・バンナと対戦、判定で敗れる。

2001年、6月のメルボルン大会に出場。準々決勝で格闘技 選手天田ヒロミをKOで下すも、準決勝で格闘技 選手アーネスト・ホーストからスリップ気味のダウンを奪ったが(試合後、ダウンではなかったと裁定)惜しくも判定負けし、グランプリ出場の道は閉ざされた。しかし、福岡で行われる敗者復活戦にミルコ・クロコップの代替出場を果たし、再びグランプリ出場の道が開けた。

ところが、格闘技 選手レイ・セフォーに判定負けで再び道が閉ざされかけたが、勝利した格闘技 選手レイ・セフォーが負傷のため、ハントが決勝進出の権利を手にする。そして、アダム・ワットにTKO勝利して東京ドームの決勝大会への切符を手に入れた。

東京ドームの決勝大会で、格闘技 選手ジェロム・レ・バンナをKOで破ると、そのまま勢いに乗り、ステファン・レコ、フランシスコ・フィリォを判定で破り、K-1 WORLD GP 2001を制し、シンデレラ・ボーイと称される。

しかし、2002年以降は低迷が続き、K-1のリングでダウンの経験がゼロだったが、2002年初戦の静岡大会で、勝利こそしたものの、中迫剛に生涯初のダウンを奪われてしまう。

その後、名古屋大会で格闘技 選手ミルコ・クロコップに判定負け、パリ大会でジェロム・レ・バンナにTKO負けと連敗が続くが、開幕戦でマイク・ベルナルドに延長1R判定勝ち。その後東京ドームの決勝トーナメントでは準々決勝では格闘技 選手ステファン・レコにKO勝ちするも、準決勝ではジェロム・レ・バンナに判定負け。

グランプリ連覇とまではいかなかった。 翌年2003年にはラスベガス大会で、格闘技 選手ゲーリー・グッドリッジと対戦。豪腕対決と期待が寄せられたが、特に見せ場のないまま判定勝利で試合は終わった。

2004年はK-1から総合格闘技 プライド のリングに闘いの場を移す。初参戦となった吉田秀彦戦では敗れた。2004年12月31日には、当初欠場が決まっていた『PRIDE男祭り2004-SADAME-』に桜庭和志の怪我による代役として急遽出場し、ヴァンダレイ・シウバに3R判定の末勝利した。総合格闘技 プライド のリング上で初めてシウバに黒星をつけたことで有名。

さらに、2005年12月31日の『総合格闘技 プライド 男祭り2005-ITADAKI-』では、1年ぶりの出場という試合間隔の長さをものともせず、ミルコ・クロコップに白星をあげ、K-1時代のリベンジを果たすことに成功した。

2006年2月26日,総合格闘技 プライド 31では、西島洋介を危なげなくKOで下す。

PRIDEで新たに開催されることとなった無差別級トーナメント出場が決まり、2006年5月5日の『総合格闘技 プライド 無差別級グランプリ2006 開幕戦』では高阪剛と対戦しKO勝利を収め、ベスト8に進出した。

2006年7月1日の「総合格闘技 プライド 無差別級グランプリ2006 2ndROUND」ではジョシュ・バーネットと対戦、1R2分2秒、羽根折固めで一本負け。スタンドでは無類の強さを誇る反面、グランドではまだまだ発展途上であるところを露呈した。

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